鬱発症 前後のこと
四年ほど前に、以下の文を書いていたようだ。
19~20歳の頃に鬱病と診断された。
睡眠不足と過労が祟ったのだと思う。
ただてさえ、不安定な年頃なのに、環境の変化に加えて、
朝5~8バイト
9~17学校
18~22バイト
な日々。
1人暮らしの部屋は、運悪く半地下で陽がささない独房のようだった。
そんな日々を過ごすうちに、
段々おかしくなった。
パン、過食嘔吐、手を突っ込んで吐いた。
学校の駐輪場で、停めてあった自転車を出そうとした際に、突然に世界が美しいものだと気付き、涙した。
何の変哲もない、ただの駐輪場だったのだが、その時は曇っていたメガネを拭いたようにクリアに、そして輝いて見えた。
「世界は美しい」その真理に触れた気がして、救われる思いだった。
よく憶えてないが、どうにかこうにか自分で精神科に行き、そこで鬱と診断された。
ショックだったが、安堵もあった。
なんとか卒業して、実家に戻った。
ウェブ会社のアルバイトを見つけ、採用されたが一ヶ月でクビになった。
昼休みにトイレで吐いていた。
躁鬱
療養していた頃
不安や焦燥感や恐怖、様々なネガティヴをミキサーで混ぜたものを常に味わっているようだった。
ある夜、自転車で街を散歩(徘徊)していた。
片側二車線の車通りの多い交差点に居た。信号待ちをしていた。
車の信号が、青に変わった。
道路の向こうは、横断歩道は赤信号だったのに、私は横断歩道へ漕ぎ出していた。
車のクラクションが聞こえた。
よく轢かれなかったものだと思う。
いまなら、なんで赤信号で渡ったのだろうと思えるが、その時は今渡らなければ、と焦っていた。それほどにひどい状態だったんだろうか。
ひどく怯えていた。
うわー!と叫び、
畳に包丁を突き刺して、
うずくまっていた。
あー、ほんと、やばかったんだな…
十年近くたった。
あれ以来、発症していない。
まったくふつーの日常生活を送っている。
時々、漠然した不安や、さみしい気持ちになることはあるが、それはだれにでもよくある範囲のことであろう。
あの時のような、妙な高揚感や鉛のようの重さや、刺すような焦燥感は、今はない。
日記
朝、目覚めた後、窓を開けて、再びベットに横になり、スマホをダラダラいじりながらゴロゴロ。
10時前後にのそのそ起きて、寝室のカーテンを外す。
カーテンを洗濯機に放り込む。
リビングでウトウトしていた夫がその気配に気付く。
朝食を作ってくれている間に、カーテンの次に洗濯できるように、シーツ、枕カバーも引っぺがす。
昨日買ったパンを焼いているいい匂いがする。
リビングに置いたまま畳んでいなかった自分の衣服を片付ける。
パンと、コーンスープ、野菜ジュース、ゆで卵、フルーツとヨーグルト。
音楽を掛けながら、テレビはクロームキャストのランダム表示の写真。
夫がお風呂の間に、買い物へ。
昨日のベランダ掃除の続き。
水を撒いて、デッキブラシでこすると面白いように汚れが落ちて楽しい。
13時過ぎ、時間も時間なので、立川へ。
今日は暑い。夏日。30℃。
映画、メッセージを観る。
テッドチャンの原作。
今日は観客の民度、マナーが酷い。
上映中のスクリーンの目の前を人が何度も通る。
屈むこともせず、堂々と歩いていく人もいる。
自席の前は、巨体、頭も髪が膨らんで、字幕の真ん中がよく見えない。
映画自体は楽しめた。
英語の聞き取りもいくつか出来て嬉しい。
映画のあと、立川いったい音楽祭?の目当てのステージへ。
ライブ前のYさんを見かけて挨拶。
ライブまで時間あるので、コトブキヤを冷やかし、LAWSONでアイスと飲み物を買う。
ステージの前に、丁度いい木陰。
御誂え向きに段差のついたところがタイミング良く空いたのでそこに座る。
ライブ直前にTさん合流。
ライブ後は、少し話した後、居酒屋へ。
さて、今日は、後は英語の勉強を片付けて、
ストレッチしてゆっくり寝よう。
いい週末だった。
幸せだ。
久々に自分の書いたのみたら、精神的なアレはここ数年あったようだった
1年、2年前も気分の落ち込みとか不安定とか書いてて笑った。
今は抗うつ剤とともに、無理しないで好きに生きるよう軌道修正を試み中。
死にたい、といつよりは、ふっと消えたい、という気持ちは時折あるが、昔の大うつに比べれば幾分マシ。
ねむいけど、ねたくない。
ねたいけど、あー、うん。
仕事のやる気が超絶に低下している件
仕事いきたくない。
もーやだ。
やる気しない。
いまの仕事に就いて、かれこれ約8年。
いろいろ提案したり改善したり、うまくいったこともそうでないことも。
だいたいやった感が、ある、気がする。
このまま、やっていって、成長というか、面白みというか…。
楽しいのか?っていう。
金を稼がなきゃならんのだけども。
一番は、最近の人間関係だろーか。
あと体臭がキツくてしんどい…。